人口64万人を擁する全国で18番目の大都市に革新・民主の吉田万三区政が誕生して、
2年8ヶ月、残念ながら自民、公明、民主による区長不信任が可決され、6月20日の区長
選挙で吉田万三前区長は惜敗してしまいましたが、その功績は大きく、今も輝いています。
今回、ドキュメント風にまとめてみました。
第2回―予算編成はどうやってすすめたか。よまやま話
区政の方向を決めていく予算の編成は、区長が代わって方針をしめせば自動的にすすん
でいくわけではない。「逆立ち政治」をすすめる政府や東京都からの統制や補助削減、自
民党区政が築いてきた予算編成のシステムなど、抵抗は根深いものがある。吉田区長、
日本共産党区議団、「足立革新区政をつくる会」と幅広い区長の連動がそれぞれ力を
発揮し、困難を突破しながら、公約を一つひとつ実現し、区政のかじとりをすすめてきた
経過がそこにはある。
ライフ前で私、針谷の応援演説する吉田万三前区長と聞き入る聴衆
前区政を引き継ぐ幹部職員のなかで96年10月22日、吉田区長になって最
初の当初予算編成方針となる97年度の行財政運営方針がしめされた。区長の「命に依
り」、助役名でだされるもので、依命通達と呼ばれるものである。このなかでは、憲法、
地方自治法の精神ともいえる「住民が主人公」の立場にたちかえること、地方白治法第
二条のなかにうたわれた「住民の安全、健康及び福祉を保持する」ことに 区政が全力を
あげたとりくみをおこなうこと、区民生活重視型の区政を今後の行財政運営の基本的な
姿勢とすることなどが高らかにうたわれた。
この通達が庁内に配られると、区の多くの一般職員は、長い運動のすえに誕生した区民
のための区政が動きはじめたことを改めて実感し、感動をもってこれを読んだという。
区民本位の区政への第一歩となった97年度予算には、乳幼児医療費無料化の拡充準
備、不況対策繁急融資 商店街空き店舗対策私立幼稚園保護者負担軽減補助の都削減
分の復活、初めて平和予算などの吉田区長の公約が盛り込まれた。しかし、その実現に
いたる予算編成過程には、吉田区長と幹部職員の間での「攻防」があったと専門誌で報じ
ている。(「都政新報」97年3月4日付)。
このとき鈴木恒年氏は、前古性区政後半の7年半、助役をつとめ、豪華庁舎建設やホテ
ル計画をすすめたが、吉田区長が就任して助役を辞任する際、幹部職員を前にしたあいさ
つで、「いままでやってきたことは正しかったという誇りをもって仕事をつづけてほしい」
と言い残していた。
足立よみうりが区役所の部・課長に実施したアンケートの結果を報道したが(97年
1月2日付)、回収率40.7%で同答した46人のうち、吉田区政(二年間)は足立区
にとって、 マイナスになったか」、「ブラスになったか」の選択肢に、44人(96%)
が「マイナスになった」と同答している。もちろん、このアンケートに回答しなかった
六割もの部・課長がおり、4割の回答者の部分だけで判断できないことはいうまでもない。
しかしこれは、 一定の傾向をしめすものではある。こうした幹部職員の状況のなかで、
毎年の予算編成をおこない 区民本仕の区政への舵取りをすすめてきた吉田区長の辛労は、
容易に推測できる。
区民の要求と運動から予算をつくる自治体の首長は、有権者から直接選挙で選
ばれるいわゆる「大統領制」であり、最終的には、「予算編成権は長にあるのだから(指示に
従うのは)当然」(予算課長・「都政新報」九七年二月四日付)ということになる,
しかしそれも、区民の世論と運動が背景にあって、はじめて可能になってくることである。
与党の日本共産党区議団は、吉田区長への予算要望をまとめるのに先立って、幅広い区
内各団体をたずね、懇談をおこなって要望を聞いた。野党時代もおこなっていたことでは
あったが、与党として直接区長に予算をプッシュできる立場となって、懇談に応じてくれ
る保守的な団体や業界団体が非常に増えたそうだ。これには、自民党や公明党があわてた
という。彼らは、これまで支持基盤としていた団体の要望を定期的に開くということさえ
「やったことがなかった」ようだ。共産党区議団は、出された要望をまとめて吉田区長に
手渡し、予算が最終的にまとまるまでのその後の協議でも、差し迫って必要な緊急対策や
区民の願いの声を区長に伝えた。
吉田区長も、忙しい公務をぬって、区民からの要請にはできるだけ直接会って話を聞い
た。「区長室の扉が開いた」と喜ばれた。
吉田区長へのある母親からの一通の手祇が、公園改修計画で予定されていたさくらの木の伐採を
変更し、地域の親子に喜ばれる公園整備として実ったこともあった。
日本共産党区議団が、とくに心を砕いたのは、予算要望をもっている区民や各団体が開
係の部署と直接に交渉がもてるよう援助をおこなったことである。それは、区の各担当部
門が住民の要望に応じて各担当部門での予算要求をまとめ、予算課にあげていくように
していくことが、区役所全体を下から変えていくうえで重要と考えたからだ。
また、「足立革新区政をつくる会」は、区民や各団体から出された要求を予算要望にま
とめ、実現のための署名運動をおこなって、各部交渉にそれをもちこんだ。とくに 野党
の支持基盤になってきた保守的団体などの要求も、とりまとめでは重視された。
こうして実現した予算ほど、議会での予算可決をもとめる運動に、関係した幅広い区民
が立ち上がることになっていった。
1. 全国に与えた地方政治への影響
u 公約貫きホテル計画撤回
96年10月、吉田区長は公約どおりホテル計画を撤回
助役名で提出した「行財政運営方針」(依命通達)で正式に
「ホテル計画撤回」を指示しました。
野党の自民、公明らの議員はショックをうけ、特別委員会
では「言葉がつまり、議場は静まりかえった」こともありました。
この吉田区長の決断、公約を守る姿勢に多くの区民から
「信頼」を得たのです。
こんなホテルがいるのでしょうか
u 大型事業を抑えて福祉、産業振興で前進
吉田区長の下で前進した重点施策
・商工予算
生業資金貸し付け150万―200万
不況対策予算の増額、プレミアム付共通商品券補助
商店街電気代補助率―1/2−2/3へアップ
商工相談員の増、
中小企業への発注拡大
・ 福祉予算
特別養護老人ホームの3ヶ所建設―皿沼、伊興、中央本町
ケアハウスの整備助成―西新井(定員100名)
ホームヘルパー事業予算の増員2.2倍
生きがい奨励金(敬老金)の存続
保育料3年連続据え置き
乳幼児医療費無料化の所得制限の緩和
血液検査で胃がん健診―23区初
高齢者グループホーム補助―23区初
知的障害者のディサービスー23区初
初の平和予算―原爆資料展、他
u 区民生活を前進させ財政再建を両立
2. 予算編成はどのようにすすめたかー
区民の要求と運動から予算をつくる
u 区民本位の予算ができるかどうかがカギ
3. 2年8ヶ月の「不信任」策動とのたたかい
u 公約を守ることの重要性
u 保守層との対話
4. 吉田区長のがんばりと与党の役割
u 吉田万三さんの人柄
u 与党の責任―政権を担う党への成長